レポートの考察には、実験成功とか実験失敗と安易に書かない

前回前々回とに実験レポートの話を書いたら、アクセスが結構あったので、また実験レポートの話を書きます。

今回は、実験レポートの考察には「実験は成功した」とか「実験は失敗した」と、安易に書かない方がいいという話です。

私は大学の電子工学科・電気工学科の2回生の実験の指導をしていますが、今回の話は、他の学科や学部の実験レポートの場合でも、同じ事がいえると思います。

「理論通りの結果なので実験は成功した」とだけ考察に書く学生がいる

レポートを採点していると、「理論通りの結果が出たので、実験は成功した」とだけ書いている学生が時々います。この様な考察では、残念ながらかなり低い評価になります。

レポートの他の部分も雑に書いてある場合は、躊躇なく低い評価を付けられるのですが、考察以外の部分は丁寧に書いてあるのに、考察に「実験は成功した」としか書いていない場合は、とても残念な気持ちになります。

レポートの中で、考察が一番個性が発揮できるところ

実験レポートといえば、ほとんどの大学で、次の様な順序で書く様に指導されているのではないでしょうか。

  1. 表紙(実験タイトル、実験日、実験者氏名など)
  2. 実験目的
  3. 実験原理
  4. 実験方法
  5. 実験結果
  6. 考察

余談ですが、私が実験指導している学科では、考察の次に検討課題(の解答)を書きます。各実験テーマごとに、テーマに関連した調べ物をしたり、計算問題を解いたりといった課題がテキストに載っていて、それをレポーター(レポートを書く学生)がやってくる事になっています。

レポートの中で、表紙、実験目的、実験原理、実験方法の部分は個人差の付きにくい部分です。たいていの場合、テキストに実験目的や実験原理、実験方法が載っていると思います。テキストに載っている事の要点をまとめればいいので、ルールに則って丁寧に書けば、どの学生でもだいたい同じ内容になるはずです。

レポートの中で、一番個性を発揮できるのが考察の部分です。考察は実験結果をどう解釈するかや、実験結果からどの様な事が分かるかなど、レポーター個人の考えを述べる部分なので、学生によって内容が大きく違ってきます。

考察は、学生の理解度や表現力が最もよく表れる部分なので、教員がレポートを採点する上で、最も重視する部分です。そこに「実験は成功した」としか書いていなければ、高い評価を与えようがありません。

考察の分量が少ないレポートは評価が低い

教員は考察を重視してレポートを採点するのですから、考察に2~3行しか書いていなければ、他の部分が充実していても、かなり低い評価のレポートになってしまいます。(逆に、内容の薄い話をダラダラ長く書くのも良くないですが)

実験結果が理論とよく一致した場合、一体何を考察したらよいか見当もつかずに、「実験は成功した」とだけ書いてしまう場合があると思うのですが、それだけでは分量が不足しています。

逆に、実験結果が理論とあまり一致しない場合は、その理由を考えて書けばいいので、考察が書きやすくなる傾向があります。実際に、この事を実感している学生の方は多いのではないでしょうか。

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学生実験の目的は「理論通りの実験結果を得る事」ではない

レポートを書く時には、実験の目的をよく考える事が重要です。

考察に「実験に成功した」とか「実験に失敗した」とか書く場合は、大方の場合、「理論通りの実験結果が出た」とか「理論通りの実験結果が出なかった」という意味で書いているのではないでしょうか?本当に、学生実験の目的は、「理論にぴったり一致する実験結果を得る事」なのでしょうか?

ニュースを見ていると、例えば「ロケットエンジンの噴射実験に成功した」などと報道されている事があります。この場合、「目標の推力を得られるエンジンを開発する事」、あるいは「新開発のエンジンの推力が目標値に達している事を確認する事」などが実験の目的ですので、実際にエンジンの推力が目標値に達していれば「実験成功」といえるかもしれません。

一方で、大学の低学年でやるような、基礎的な物理実験の場合、「何らかの物理的な操作をした場合、どの様な現象が起こるのかを観察する事」が目的になっている事がほとんどだと思います。現象を観察するのが目的ですから、実験の手順や方法を間違えていない限り、どの様な実験結果が出ても、失敗とはいえないはずです。

例えば中学校で習うオームの法則の実験の場合でも、最初は、抵抗にかかる電圧と、その抵抗に流れる電流の関係が分からないので、それを確かめるために実験したはずです。どんな実験でも、最初は、どの様な現象が起こるかわからないから実験をするのです。

確かに大学の低学年では、全く先人がやっておらず、理論が確立していない様な実験をする事はないかもしれません。しかし、学生諸君が将来、未知の現象を調べる実験をする事を想定し、その訓練のために学生実験をするのです。決して理論を妄信し、理論通りの実験結果を出すことを目的としているのではありません。

それに、実験をやってみら、従来の理論では説明できない結果が出たので、それがきっかけで新しい理論が生まれる事も良くあります。光速を測定したら、ある慣性系で測定しても、その慣性系に対して高速で移動している慣性系で測定しても、全く一緒だったという、ニュートン力学の理論では説明できない測定結果が出たところから、相対性理論が生み出されたという話は有名です。この様に考えると、理論通りの結果が出ない事は、失敗どころか、新たな可能性だともいえます。

主観的な表現は避け、客観的な表現を使う

理論通りの実験結果を出すのが学生実験の目的ではないという事以外にも、「成功」や「失敗」という言葉を避けるべき理由はあります。

実験レポートだとか論文を書く場合には、主観的な表現を避け、客観的な表現を使う事を心がける必要があります。

そういう意味においては、「実験が成功した」という表現は、「こういう結果が出ると期待していたところ、その通りになった」という、主観性の強い表現なので、好ましくありません。単に「結果は理論とよく一致した」と書くなら、客観的な表現になります。

同様に「実験が失敗した」は、「実験結果は理論と一致しなかった」と書くべきです。

実験結果と理論が一致する場合には何を書けばいいのか

先ほど、実験結果が理論と一致しない場合の方が考察が書きやすい傾向にあると書きましたが、それでは、実験結果が理論通りだった場合、考察に何を書けばいいのでしょうか。単に「理論通りの実験結果が得られた」と書くだけでは、分量が不足してしまいます。

一般に、理論通りの実験結果になったといっても、全く誤差なしに理論の関係式が成り立つ事はないはずです。実験には、ある程度の測定誤差が避けられないからです。

注:論理回路の入力と出力の関係を調べる実験など、完全に理論通りの結果が得られる実験が、例外的には存在します。

そういう具合に考えると、「実験結果が理論に一致した(あるいはしなかった)」という表現も、「実験が成功した(あるいは失敗した)」という表現よりはましなものの、主観性を排除できていない表現だと気づきます。例えば実験結果が理論から1%かい離していたとして、「1%の小さな誤差で理論が成立した」と考える人と、「1%も狂っているのだから、理論は成立していないのではないか」と考える人が出てくる可能性があるからです。

実験結果が理論通りかどうかを判断する一つの目安は、実験結果の理論からのかい離が、測定系が持つ測定誤差の範囲内に入っているかどうかを考える事で得られます。

注:そもそも測定したい物理量に対して、測定誤差が十分小さいといえない場合も考えられます。例えば、1V以下の電圧を測らなければいけないのに、測定に使う電圧計の分解能が1Vしかなければ、理論を検証できる実験にはならないのは明らかです。この場合、実験の方法自体が間違っているといえます。ただし、授業で行う学生実験の場合、実験方法や使用する実験器具などは、教員があらかじめ指定しますので、この様な問題は通常発生しないはずです。

測定誤差は色々な要因で発生します。例えば、測定器の誤差は、測定誤差の要因として、最も一般的なものです。

使用する測定器の型番を実験ノートに記録しておけば、インターネットで検索すれば、その測定器の精度などの仕様が出てくる可能性は非常に高いです。また、アナログの電圧計や電流計の場合、目盛りの近くに例えば”class 0.5″(0.5級)と書いてあれば、測定誤差がフルスケールの0.5%以内だと分かります。

測定器の誤差以外にも、電気回路の場合、配線内の抵抗や接触抵抗、力学の実験の場合は摩擦によるエネルギー損失など、色々な誤差要因が考えられます。それらの誤差の大きさを全部見積もって、測定系の持つ測定誤差を評価した結果、測定結果と理論値とのかい離がその測定誤差範囲ならば、「その測定系で検証できる範囲では」理論が成立しているといえます。

この様に、測定系により発生しうる誤差を定量的に議論すれば、主観の入らない議論ができますし、分量的にもかなりの量になります。それと同時に、実験に対する理解の深さが試されます。

測定系の誤差の定量化以外にも、色々考察のネタはありますが、それらは多くの場合、実験の内容によって変わってくると思います。どういう要因でどの程度の測定誤差が出るかを考える事は、ほとんどの実験において共通の考察ネタとなりますので、知っておいて損はありません。

実験結果が理論と一致しない場合も、その原因を「定量的に」考察する

実験結果が理論と一致しない場合は、その不一致の原因を考える事が、考察で重要になります。

不一致の原因は、通常、いくつも考えられます。それなのに、一つの原因を取り上げて、そのせいだと断定するのは良くありません。

また、色々な原因を羅列して、それでおしまいというのも、一つの原因だけを挙げるよりましですが、良くありません。考えられる要因の内、どれが主な原因かを定量的に考える事が重要です。

例えば、100Ωの抵抗に電流を流した場合に、抵抗の両端電圧を測定する実験をしたと仮定します。オームの法則によると、電圧は電流の100倍になるはずですが、実際には108倍になったとします。このずれは、どの様に説明すればいいでしょうか?

抵抗に100Ωと書いてあっても、その抵抗値はあくまで公称値(抵抗のメーカーが表示している値)に過ぎず、通常抵抗値には許容誤差が設定されています。例えば許容誤差が10%の抵抗を使っていたとしたら、100Ωと書いてあっても、実際の抵抗値は90Ω~110Ωの範囲のいずれかの値になります。実際の抵抗値が108Ωであっても不思議ではありませんので、実験結果と理論のずれは、抵抗値の許容誤差だけでも説明が付きます。しかしながら、もし許容誤差が1%の抵抗を使っていたのなら、この様な説明は成立しません。

抵抗に電源装置や電流計などを接続するための配線にも抵抗があり、その抵抗が誤差の要因になっている可能性も考えられます。その場合、配線内部の銅線の大雑把な直径や長さから、銅の抵抗率を使って、配線の抵抗値を大雑把に見積もる事ができるはずです。配線の抵抗は、理論と実験結果の8%のずれを説明できるほど大きいでしょうか?

他にも電圧計や電流計の測定精度など、考えられる全ての誤差要因を考えてもなお、8%のずれを説明できないとすれば、配線の仕方を間違っているなど、実験方法に不備があったのかもしれません。それとも、オームの法則で説明できない、新しい現象を発見したのかも知れません!(とはいえ、学生実験では過去にやり尽くされた実験の追試をするので、新現象を発見する可能性は極めて低いのですが)

まとめ

今回は、実験レポートに「実験が成功した」とか「実験が失敗した」と書くのは、ほとんどの場合において好ましくないという話を書きました。

その理由は、以下の2点です。

  • 学生実験の目的は理論通りの実験結果を出す事ではないから
  • 「成功」とか「失敗」という表現は、主観的な表現だから

それ以外にも、レポートを書く際には定量的な議論を心がける事が重要で、定量的に議論すれば、自然と考察の分量も多くなり、内容も高度になるという事も書きました。

この記事が、実験レポートの考察の書き方に悩む学生の方々に、少しでもお役に立てば幸いです。

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